先の決まった人生を生きることほど退屈なことはない。

先の決まった人生を生きることほど退屈なことはない。
それは例えば、僕の送る人生のことを言うのだろう。
結婚し、子供が生まれ、家族の為にお金を稼ぎ、多少の浮き沈みこそするが賃金を稼ぐ。
しかし、それらすべてがネット上にどのような人生として送ることができるかが書かれている。
僕らはやはり情報によって不幸にもなったり、幸福にもなったりするのだろうか?
もちろん、自分が送る人生の感覚すべてネット上に流れているわけではない、だから僕らは未来のことは同等のものとして捉えつつ、ただ今ある感覚を感じていくだけなんだ。