迷いの生存

この一年は自分が何故生きるかを悩んだ期間でした。とても浮き沈みのあった-全体的には沈んでいた-時期でした。

その中で、宗教に答えを求めようと「ブッダのことば」という本を読んでみました。
(仏教になる前の原始仏教)
今年最後の更新になりそうなので、来年は煩悩から解脱して生きたいという想いを込めて書き記します。

まず、僕は何故生きるかを悩むべきではなかった。
なぜなら、生きること-あるいは死ぬこと-それ自体を悩むことが煩悩であると感じたからだ。
生きることも、死ぬこと、それらをも享受し、
今自分に与えられている状態を三昧する。
僕はブッダのことばをそのように受け取った。

僕が苦しみ悩んでいる時、それは自己の中にある煩悩の為なのだ。
それは自己の中で誓願が存在しないためだった。
自己が存在する前提がない中で、自己の存在を問うても自己不信になるだけ。


来年は今自分に与えられている状態を三昧するために、瞑想をやっていきます。


余談。
一年ほど前には、瞑想-僕の場合は数息観-を20分続けることが出来た。
けれども、今では8分に縮んでいた。
いろいろなところから歪が生まれているのだなと。
そして、その歪は社会全体に生まれていて、スピリチュアル的なものが好まれているのでは。

 

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)