孤独という笧

在る夏の日に、孤独で生きることに対して不安を抱えてしまった。
それは僕が他人と他愛のない話をしている時に浮かんできて、僕はそれを掴みとってしまった。
人と交わるという瞬間的な喜びの感情は僕の10年後、あるいは20年後への恐怖を無闇に考えさせた。

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その時、「孤独」という言葉をキーワードにしてamazonを調べた時に出てきた時の本がこれ。

 

孤独な散歩者の夢想 (岩波文庫)

孤独な散歩者の夢想 (岩波文庫)

 

 


「こうしてわたしは地上でたったひとりになってしまった。」
世間から疎まれていた時の晩年のルソーはなにを思いなにを書き記したのかを読み取れる本。 

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そして、僕はこの本を冬の中頃に読み終えた。

世間から疎まれようとも、何故生きるか?
僕は地上でたった一人になったとしても生きられるか?

僕は自分のことを孤独だと思っている。
兄弟もいるし、親もいて、血の繋がりの在る家族がいるが、それでも孤独だ。

孤独を感じない瞬間は、自己と対面している時。
例えば、瞑想に耽っている状態が僕は感情を排して自己と対面する。
なにかを感じ、考え、動こうとする欲望を排除して、ただ刹那の瞬間に耳、目、全ての身体を放り投げる。

けれども、それが終わった時。ロープの結びがほろりと解けるように強固に固めていた自己が崩壊する。
僕は自分を擁護するために日々を生きていたのだと思う。
孤独を紛らわすために。

そして、いま、孤独を受け入れることが求められる。

すべてを手放すべき。
まずは僕に身動きを取らせなくなっている、孤独という笧を。

んで、一言。
今を刹那的なものとして享受すべきか。