自己の言葉の世界の外へ。

自分の世界と共通の世界。
この世界で言葉が生まれた時から、あるいは言葉が生まれる前に身体が存在した時から、培われている言葉を使うには何回層もの言語の壁を超えていかなければいけない。

言葉の世界とつながるために、自己の言葉と戯れているのかもしれない。

 さて、最近幸福論に関する話をしてきました。
その話題に関して、2つを追加する。
1.その悩み一年後もありますか?
誰にだって、今悩んでる考えがあるはずだが、その悩みは一年後も自分の中にもっているか。
一年後に同じ悩みを持っていなければ、それは個人的な悩みで、多くを悩むべきことではないのかもしれない・
反対に悩んでいれば、社会的な問題が生み出すのかもしれない。
後者は考える価値が在ること・
2. 悩んでいることは答えが見つかっても別の答えを探すということ。
個人的な悩みに関して悩んでいる時、僕は袋小路に迷い込む。
予め答えを知っていながらも、わざと道を間違うように先を進む。
そんなことは時間の無駄だと感じながら、希望のない未来を見るよりも、
形骸化した世界の中で生きることを選ぶ。

さて、幸せになりに外に出ることにしようか。