世界を知る代償

もはや宇宙の真理は釈迦が悟って文言化されている。
もちろん釈迦が悟る前から宇宙の真理はあったわけだが、釈迦の悟りによりそれが初めて人間の世界に表出したわけです。

この宇宙には、「私」も「あなた」も「国」も「川」も何もなくただ一つの宇宙がある。
その中で、「私」は様々な縁故によって、結ばれていて、「あなた」と繋がり、「国境」と繋がり、「川」と繋がっている。
私のモノも存在しないし、あなたのモノも存在しない。ましてや、国のモノも存在しない。
すべて一つなのだから。もし私があなたのモノを盗ったとしたら、それはわたしのものを盗ったということです。

また、動物は人間に対して、恩を受ければ報酬を与える。
それは様々な古典文学で文書化されている。
では、「私」は「あなた」からの恩に対して、どう報いればいいのか?
菓子折りを送ればいいのか?いや、そんなことはない。
「私」は私という存在をわすれて日々を懸命に生きていくということが、あなたの恩に報いるということなのです。

んで一言。
宇宙の真理を知るために、片足を失いました。
坐禅会に参加し、一時間ほど座禅をし終わり、立つと、左足に一気に血流が流れこむような衝撃を感じ、その瞬間激しい痛みを感じ、いままだ左足の感覚はない。