それぞれのアプローチ。僕の場合は。


6時起床。
しばらく走ってなかったな、おそらく一週間ぶりに10kmを走る。やはり8km地点くらいで膝が重くなってくるな、ほんとにフルマラソン走れるのかな。今から持久力だけはつけておこう。
お腹を冷やしちゃやっぱダメだわ、腹巻巻いて走ろう。

ダンス場へ。
これも久々なんでだ?横浜で忙しかったはずなのに…まぁ、これから続けるから11時までは頑張ろう。そういや本も読んでないな、いつの間にやら忙しかったみたいだ。
今日はひたすら三浦ジャンプの練習。しかし、こういう名前もだんだん恥ずかしくなってきたな。
なんか他にいい名前ないかな?技術的な名前はよくわかんね。
練習。足を地面で捉えることと、手で体を持って行かせること、この2つはあーそんなことよしかさんが言っとたなーくらいのレベルで体としての実感値がまだ少ないな。
ジャンプの練習をひたすら続けることで、足を地面で捕らえないと(ギリギリまで足を離さない意識かな)高く足は上がらないし、手で体をリードさして挙げないと上半身の力は抜けない。ということを学んだぞ。

昨日のワークを一人でやってみた。
ものとものとの関係。完全に自分と対象が世界にいるから、対象がいないと踊れないという感覚。いやそんなことはないんだが、同時にペットボトルで日野晃の”合わせる”ワークをやってみたが、途中で意識が途切れるな。向こうはどう思ってるか知らないが… 片思いだわ。
んー、自分の集中を対象に向けるということと自分も集中するということ難しい問題だぜ。難しいからやる価値はあるんだけどね。

世界と世界。ダンスにおいてどのように踊るか。
  • 人と人で踊るか。関係性?いや実質的に関係性は見えなくても成り立つ作品はあるけど、人は関係性を求めたがる。なんでだ?個人が同じ要素をもってるだけで、関係性はなくても、関係性をとろうとする。見る人が、ダンサーとの関係性を持ってしまってるから、客が君たちと繋がってるから君たちももちろんつながっているよねという押し付けがましい意識。
  • 人と物で踊るか。有機物と無機物の違いかな?そもそもその2つの違いがよくわかってなかったりするんだけど。この中立が難しいよね、モノに踊らされている感覚じゃなくて、ものと踊ってる感覚。下手をすれば、その人じゃなくてもいいよねとなってしまう。その人とそのモノだからこそ生まれる関係。個人のパーソナリティ。
  • 自分と世界で踊るか。どのような世界が自分の周りに存在しているか。ソロは作品に近い感覚で書いているんだけど、上の2つも、後者の人と、物も世界の一部に含まれているから、自分と世界が最も広い分野なのかもしれない。ソロなのに不思議。

それぞれアプローチはぜんぜん違うよね。白井さんは人と物でやってるし、それはとてもインスタレーション作品に近い感覚での創作になるよね。いかに心地いいか…互いに心地いい場所。ものはそんな近くにいてほしくないのに、人はいるかも知れない。ものの気持ちを理解するには?自分を開く
。合わせるワークは大事なんだと思うね。
玉井さんは自分と世界で振りを作って、作品に起こすとき(構成)は人と人の関係性で作ろうとしている気がする。
三浦さんは自分と世界。どのような世界を成り立たせるかを頭においている。そんな気がする。

んで、今の僕は自分と世界。もっぱら、どのような世界において自分をどう動かすかを試行錯誤して行きましょう。