自分という思考に対して、自分の体の存在価値

朝7時半に起床。昨日食い過ぎた…そのため、お腹が減るまでランニングしようと決意してGO!
朝だから、通勤の人が一杯いて、コースが少し変わる。大雨の影響でいつものランニングコースが砂まみれになってた場所あり。
というか、後楽園のとこに橋が掛かってないし。渡れねー。

バレエの練習。めっさおもろいな。なんでこんなに面白いんだ。身体を動かすことの楽しみを20歳で覚えて、それ以来動かし続けて来た。そこに、ジャンルという差異は無い。
自分のボキャブラリーを増やすためには何をすればいいか。ただ、難しい言葉ですべてを語れることは無いんだけど。簡単な言葉でも、村上春樹のように語れれれば…
まだ、自分の身体をものとして捉えることに興味を持っている。そこにスプーンといったモノを加えて、身体を媒介としてモノと対峙するのではなくて、すでに身体が媒体であり、媒介でありといった感じ。…かな。

ワークショップ。
ダンス嫌いな人もいる。確かに。俺の友達とか兄貴とか、見てもなにもわからないっていうもんな。そういう人に対して門を開くために、俺もそういう人だったんだから。僕が続けたきっかけは、あんなに動けてかっこええな〜っていうくらいのレベルで。作品的にはよく分かってなかったよな。でも、映画的な手法を取り入れれば(ある程度ドラマ性のあるストーリー?)、一般の人にもわかりやすくなるのではないだろうか。
陶芸家とか、職人とか。職人はモノを扱うための身体としてあって、陶芸家ならろくろを扱うための身体として存在。その美しさ。
ダンス。扱うものが自分。これをどう捉えるか。自分の身体は例えばカンナのようにモノと削るために存在しているのか?自分という思考に対しての、自分の体の存在価値。
そんなものを見いだせればと思っている。もっとも、自分の身体と親和できるのがスプーンだった訳かな?職人は素材を用いて作品を作る。その作品を用いて作品を作るのがダンスだとしたら、職人より格下になってしまうのでは?
だから、自分の身体を素材として作品を作って行きたい。どんな質感の身体なのか。よくよく考えれば、筋肉のあるからだとか太いからだとか、他人の身体は自分とは絶対に違うわけだし、その他人と自分の体の素材価値みたいなものを意識できればなと思う。
自分にとっての最強の素材は柔らかく力強い身体だわ。ちょっと憧れている身体はあります。



追記:
そういや、姫は自分の体のことが全然大事じゃないって言ってたな。どういう感覚なんだろ?
おれは自分の身体は大事なのか?でも、大事ではあるが主観的に大事ではなくて、客観的に大事にしていきたい。となると、人が存在するから大事?
んー、よく分からんね。自分のことはよくわからないから、姫のことを知ろう。
それより嫁のことを知ろう。