オブジェクトとして捉える

ぎっくり腰のまま少しワークをする。んー、ほんとになにやってんだ、まだまだやるべきことはいっぱいあるぞい。
ぎっくり腰の時、彼女が料理を作ってる時面白いなと思った、合理的に動いているようでいて、非合理的に動いている。そして、なぜ動いているのかもわからないような。けれど、ふと瞬間に目的を見出して、それのみに行為を集中してるような。
「行為の並列化」も可能だな。情報科学は人間の行為をプログラミングするみたいですごく面白いのです。
そこで、今日は冷蔵庫から冷奴の材料を取り出して、シンクに置くまでをワークする。
まず、8段階くらいに一般的な感じに行為が分断される。その中に、更に細分化された行為をぶち込んで、一連の作業をすべて捉えようとする。
しかし、この時、丁寧にやり過ぎると何をしているのかわからなくなるし、パントマイムをしているのかダンスをしているのかよくわからなくなったりするが、まぁ経験がカバーする問題なのではないだろうか。
(脱線して、過去から未来を捉えて、未来から過去にすべてを決められてる身体として存在していることが落とし込めれば良いなと考えたて、逆再生をしてみたが得るものは少なかった。ある意味、未来から過去の思考が働いていないってこともあるが、現実という世界では、時間は常に進んでいるものだから、無理があるワークである。想像力の中という自分が支配する中からはじめるべきものなのかなと。)
んで、冷蔵庫というオブジェクトをなくしてみる。例えば、「開ける」という行為のみで動こうとするが、これが難しい。おそらくは、純粋に「開ける」という行為はどういうことなのか、(それは完璧な三角形を想像することに似ている)ということについて考えさせられることでもあったな。
しかし、関数のように、関数だけでは機能しないし、何かしらの値を入れないとその値は変化しない。だから、オブジェクトが必要になってくるのだろう。
「オブジェクトの抽象化」を今回のワークの課題としてやってみた。やってるときに、自分の体をオブジェクトとして捉えることがあるが、常にそればかりでは確実に飽きるし、何をしているのかわかるというのが問題なのではないだろうか?それによって面白さが損なわれる?
自分を忘れるワークとして何かをすべきなのかな?自分自身の中で(つまりは対象はオブジェクトとして)踊るのではなくて、世界の中で踊る。(そして、そこは自分が世界の一部として含まれるような世界)。んで、世界と自分とのせめぎあいが作品を作るかもしれんとふと思った。結局はどっちが勝つんだ?

key word
・行為の並列化
・オブジェクトの抽象化
・世界における個

追記: ただこれは何を見せたいんだって聞かれれば?うーん、世界と自分との関係かな〜
世界における身体についてとか。