一人の孤独
作家、田中慎弥さんが日本経済新聞のインタビューの次の言葉が印象に残った。
「私が書かなければ物語は進まない。それは孤独な作業」
僕も作品をテキストが書いているが、ここ数ヶ月はなにも書かない日が続いた。
そして、作品自体は進んでいない。
当たり前かもしれないが、僕が書かなければ物語は進まないのだ。
僕の中にある考えが一つの思考を通り、文字として起こされる。物語はその過程によって作られる。それは僕に委ねれた行為だ。
人生においてもそうじゃないだろうか。人生は時間という概念が存在する。
その中で僕はただ食べて寝る、という行為を繰り返しても物語は進んでいかない。
僕が次の一歩を進んでいかなければならないのだ。
そして、それは自分の作品を書くという小さな一歩が僕の人生を動かし始める。
人は行為によって自分を形作る。
さて、その行為はどのように判断すべきか。
日本人は「世間」の目を気にするという、日本人論が一般的に蔓延っている。
その「世間」とはなんだろうか。僕は世間を今の時に存在する人間と、今の時に存在しない人間とで区別して使っている。
僕は時々、自分の行為を正当化するために、”子どもたちのために”という表現を使う。
けれど、それは本当に子どもたちのことを思っているのか、
そして、また、その子どもたちは僕の理想としている子どもたちでしかない。
つまり、理想の世界に逃げ込んでいるような言葉なのだ。
僕は自分のために生きようと思う。それはつまり、今を生きるという事なのだ。